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2009年06月12日

アテルイ伝説。(プロローグ)

どぅも、【王様】の【深紫伝説】で大笑いしてしまう黒猫伯爵です★

【湖上の煙】とか【高速道路の星】って素敵すぐるwww

んな事は、どーでも良い。

新潟のさとげん様から『東北人にとってのアテルイ像とは?』との質問が有ったので、
クリスタル オワ ナイトのアルバム【アテルイ】をBGMに少々語ろう。


阿廷流為(アテルイ)は、我々東北の地に侵略して来た大和朝廷軍と戦った英雄である!!

…と認識している東北人は、どれ位居るのだろうか?

コレは、個人個人の【帰属意識】で大分違うだろう。
東北人と自覚してる人間にとっては英雄であり悲劇のヒーローだが、
日本人(大和人)だと思ってる人間にとっては反逆者と映る。

…実際、我々の足元で起こった歴史的史実だが、
少なくとも学校教育の場では、坂上田村麻麿が英雄で、阿廷流為が反乱者と教えている。

しかも、我が宮城県では多賀城や、砂金の採れた(←奈良の大仏に使われた)涌谷・黄金山が史跡として整備もされており、
逆に蝦夷・縄文は相対的に低く扱われてる。
(砦麻呂の伊治城跡は現在、国道4号線の下らしい。)

何故か?

ソレは体制側・支配階級である大和朝廷(現在の天皇家にも連なる)にとって都合が悪いから。
(この話は後に譲る。)

実際、当時の様相は、どうだったので有ろうか??

記録文献(←ことごとく朝廷側の。蝦夷は敢えて文字を使う必要が無かった。←後で触れる。)を調べる限り…

戦闘に於いては圧倒的に阿廷流為軍が優位に立っていた様だ。

結局、最終的には坂上田村麻麿に投降するのだが、
その時点に於いても蝦夷軍は充分な継戦能力を有していた様だ。
(この辺が、真田幸村の様な『滅びの美学』と違い、悲劇の主人公として後世に残らなかった所以でもある。)

その投降した理由は、今もってハッキリしない。(今後も解明される事は無いだろう。)

考えられる可能性としては、
◆何らかの伝染病の発生
◆坂上田村麻麿との高度な政治的取引
◆呪術作戦面(心理作戦も含む)での打撃
が考えられる。

阿廷流為以外にも東北各地には、朝廷と戦った蝦夷の伝説・伝承は数多く有り、
阿廷流為が唯一の英雄、という訳でも無い。

だが、阿廷流為はアラハバキを祀る民族の、
本当の意味での【ラスト・サムライ】で有ったろう。
(後の奥州藤原氏はDNA鑑定で大和人と判明しているし、仏教に帰依している。)


…この話、続きます。
  


Posted by 黒猫伯爵 at 16:34Comments(0)