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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2010年07月27日

死体愛好者と、臓器移植。

つい先日、臓器移植法が改正されて、ふと思った。

何故、日本人は、死体を傷付ける事を嫌がるのだろうか?

…死体愛好者だから?(笑)
いつから、そんなに死体を金無垢の如く扱う様になったのだろう??


少なくとも、縄文時代は、違っていた筈だ。
(刺青は当たり前だった様だ。)


先々週、また黒又山ピラミッドに行って来た。
今回は、ちゃんと頂上まで登って確かめて来たが…

やはり頂上に建立されていた本宮神社の正面が向いている方向は、
大湯環状列石とピタリと正対している。

前から言ってる通り、大湯環状列石と黒又山ピラミッドは、
一対となった複合葬祭施設なのであろう。
(画像1、2)

そして、現在でも残っている現役の(笑)環状列石も、
同様に、神社…では無いが、類する神的な意味の建屋と正対している。
(画像3枚目)


そうなのだ。

先日の日記にも書いた通り
縄文時代は、死者の霊を北極星に見立てて…

つまり、『宇宙に還す』呪術儀式が行われており、その方が重要な事だったのだ。

一方、その霊を送り出した後の死体の扱いは、
さほど重要では無かったのかも知れない。

勿論、ちゃんと卑しからざる扱いで丁重に埋葬されてはいるが。
(むしろ、霊の抜けた死体に別な悪霊が入らない様に。)


つまり、故人の霊と死体は、明確に分けて考えていたのだ。

現代の日本人の様に、故人と死体を同一視しない。

死体(肉体)は、霊を入れる容器、つまり霊の抜けた死体は、抜け殻と考えていたのだろう。

これは…狩猟民的な考え方かも知れない。

例えば、マタギ。

熊を仕留めると、熊の霊を山の神の元へ還す
『熊送り』という儀式を行い、
残った死体(熊の肉)は、山の神から賜ったもの…
として、有り難く頂くのだそうだ。


また、昔は、人間の子供でも6歳までは神の物、7歳にして初めて人間になる…

という思想もあり、6歳までの子供は、間引きしても(ちゃんと神に還す儀式の元に行えば。)犯罪では無かった。


重要なのは、その『霊』を宇宙(又は神)に還す…という思想であり、
その思想を具現化した儀式。

それが、いつの間にか失われて、
単なる抜け殻である筈の死体に執着してしまう様になったのが、
今の日本人ではあるまいか?

この『霊を宇宙に還す』思想に戻れれば、
抜け殻である筈の死体からの臓器移植も、もっと増えるかも知れない。
  


Posted by 黒猫伯爵 at 13:57Comments(0)