2011年07月21日

A話。(東日流・蘇る赤頭激闘篇)

てな訳で、前日記の続き。

恐山の開山は862年、慈覚大師によるものだそうだが。
実は先頃、世界遺産になった平泉・毛越寺も、
この慈覚大師が開いた寺だ。
(後年、大規模な伽藍や浄土庭園を造営したのが奥州藤原氏。)

…この年代。東日本大震災と同規模の津波を引き起こしたと言われる、
『貞観地震』や、アテルイ・坂上田村磨呂の戦いなどとも絡みがあるが、それは後述。(←引っ張るなぁ〜)


下北半島の西岸側、国道279号を走ってるとねぇ…
此所は日本なのかっ!?(笑)

…冗談は兎も角、ホントに道路脇の藪から、
今にも蝦夷(エミシ)の人達が出て来そうな←

森林と丘陵地が続く地形で、馬の放牧にも良さそう。
反面、水田は少ないな。(水源・水利が無いからか?)

前日記の風力発電にしても…
そういった森林伐採や、放牧、畑作・菜種栽培とのバランスを良く考えねばならぬ。


休題閑話。

さて、恐山から退散後。
その国道279号を、野辺地に向かって走ってた時の事。

右手側に陸奥湾。

…こっ、これは!!!Σ( ̄□ ̄)

古代の東日流の国っ!!

そうなのだ、野辺地町の北部から見ると、陸奥湾を挟んで夏泊半島、その先に青森港。そして津軽半島。

八甲田連峰も見えて、振り向けば下北半島、恐山。

…うーん、美しい。

陸奥湾一帯を支配していた強力な蝦夷(エミシ)の国、東日流国の姿がハッキリ認識出来たのだ!!!

陸奥湾は、大きな湖の様で、対岸の津軽半島に行くのに船を使うのは当然の発想。

それぞれの土地の産物・山の恵み。それに情報・技術を、
船に乗せて陸奥湾を活発に往復・交易してたのだろう。
(青森の北方漁船博物館にも、復元されたアイヌ民族の交易船が展示されてる。)

東日流の国の棟梁、赤頭が、野辺地近郊に本拠地を置き、
精強な蝦夷の国が、此所に出来た理由が良く分かる。

対岸の夏泊半島とは、狼煙や光で通信連絡も可能だったろうし、
オホーツク方面、大陸・ハバロフスク方面、北海道との交易も、当然有ったろうね。
…だから、青森の三内丸山遺跡の様な、凄い文化も出来たし、国際的な交易都市だったんだろうな。
古代の青森は。

そして、その事実は、侵略して来た支配者側、大和朝廷の正史や日本神話には残されぬ。

偽書扱いされてる竹内文書や東日流外三郡誌の方が、むしろ事実を含んでるだろう。

…この話、更に続きます。
  


Posted by 黒猫伯爵 at 04:05Comments(0)