2014年03月03日

本当は怖い「ひなまつり」〜人形編〜

去年もこのネタ「本当は怖い、ひなまつり」で日記を書き、
「雛祭り」は娘を天皇に嫁がせようとした貴族による「政略結婚」目的の呪術儀式である事は述べた。
(詳しくは去年の日記を参照。)


今回は「雛祭り」に絡み平安時代より前の、
「人形(ひとがた)」についての講義をしよう。←(宗像教授伝奇考の読み過ぎww)


雛祭りが「政略結婚」目的の呪術に変えられる前は。
木や紙、土偶等の「人形(ひとがた)」に人間に憑いた「厄」を人形の方に乗り移らせ、それを流す(又は土に埋める、焼く、捨てる)事で厄を祓う、
「厄祓い」の呪術儀式だった事は去年も述べた。
…これは現代でも一部地域に「流し雛」の風習として残ってる。


さて此処で用いる紙製の「人形(ひとがた)」は、いつ頃から有ったか?


それは紙…「和紙」の製造技術の確立、伝来による。
それ以前は木製、又は土偶を使ってた。

実の処、この「紙」と密接に関わって来るのが「漢字」である。

元々、漢字を輸入した最初の目的は「呪詛」。
大和朝廷が当時侵略した朝鮮半島の新羅に対し、
「怨敵調伏」の呪詛を行う目的でだ。
(大和朝廷は朝鮮半島の任那を足掛かりに侵略をしたが、苦戦を強いられてた。朝鮮半島では新羅と百済も戦っており、半島から脱出し大和朝廷に帰化した百済系渡来人も多い。)

具体的に言えば。
呪文を「漢字」で「紙(幣束紙)」に書く。…これが「呪符」で、この呪符を用いて呪詛儀式を行ったのだ。

因みに、この「呪符」に天照大神と書いて有るのが神社の「お札」。(爆笑)
…呪いも祓いも表裏一体。
紙は音読みでは「シ」だが訓読みでは「カミ」。「神」と「紙」が平仮名では同じ「かみ」と読む点も興味深い。


…話が反れた。


つまり最初は大和朝廷の呪詛目的で漢字を必要とし、更に漢字を書く媒体として「紙」が必要とされた。
(紙が文字の記録媒体として便利な為、記録用にも用途が広がったのだ。紙が広まる前は木簡や竹簡に文字を記した。)

「漢字」による呪詛体系が有れば、敢えて「人形」に拘る必要は無い。

人形(ひとがた)による呪術体系は大和朝廷以前の、縄文時代からの呪術体系。
縄文人は「言語」を持ってたが、敢えて「文字」を持つ事はしなかった。
…従って文字の記録媒体たる「紙」も必要無かったし、
(記録媒体は人間の脳=記憶による口伝。)
当然、文字・漢字による呪術では無く、木や土偶を用いた。

その呪術体系に「紙」の製造技術が伝わり、
呪術に用いる人形の素材が木や土から紙に替わって来たのだろう。
(縄文時代以来の呪術に、外部から伝来した技術が習合したとも言える。縄文時代に神に捧げられた猪型土偶やキノコ型土偶が、後に切り紙での俵・升・鯛などの縁起物の表現に置き換わったのだろう。)

特に中でも複雑な紙人形や御幣を使う修験道や山伏は、
大和朝廷以前の古来の呪術体系を色濃く残してると云える。

一方で大和朝廷の方は、古来の呪法と異なる、文字による呪術体系に移行したので、
同じ神道の系列でも古来の呪術体系を残す修験道や山伏は「異端宗派」として都から辺境の方へ追いやったのだろう。
(熊野や四国、出羽等、今でも山岳信仰や修験道の色が濃い。)
…この辺は朝廷内の権力闘争や部族間の争いとも密接に絡んでる筈だ。

その流れの中で、古来の「雛祭り」が「厄祓い」の意味から、朝廷の貴族達による「政略結婚」目的の意味に変えられた…
おそらく、古式・異端宗派の呪法を利用して天皇との政略結婚を呪詛する、
「朝廷乗っ取り」を画策した連中が居たのだろう。
(現代的に言えば、悪魔の呪法に頼った様なモンか。笑)


ところで。

幣束紙…和紙だが、現在の花巻市東和町に残る「成島和紙」が、和紙製造の北限と云われてる。
(まぁ昔は村毎に和紙を透く農家は有った訳で、実際にはもっと北にも有ったろうと思う。)

この分布から考えて、おそらく「物部氏」が和紙製造にも関わっていたのでは有るまいか?(製鉄と共に。)
この成島和紙が北限だったとすれば。
それより北側、盛岡以北・青森には大和朝廷・文字呪術文化の支配が及んで無かったとも言える。
(実際、盛岡近郊の志波城や徳丹城が大和朝廷の城柵の最北だ。)

…この辺。
日本の先住民たる縄文人の由来〜製鉄技術を持つ大和朝廷の剣よりも優秀な「蕨手刀」を持っていた蝦夷〜製鉄・製紙技術を持った物部氏〜古来の山岳信仰と修験道(特に出羽・羽黒系修験道)…といった流れは、非常に複雑且つ重層的な流れが有る。

それは次回の講義で。←(だから宗像教授伝奇考の読み過ぎだっつーのww)  


Posted by 黒猫伯爵 at 09:59Comments(0)