2014年08月14日
東北魔界紀行・出羽山伏編その5、山伏・天狗と縄文人そして霊。
また時間が開いてしまったが、前日記の続き。
いよいよ東北魔界紀行・出羽山伏編の完結編です。(笑)
この温海の温泉神社から高舘山辺りまで有名な心霊スポットが密集している。
白山島(白山神社)、高舘山(加茂坂トンネル)、油戸トンネル(荒倉山・荒倉神社)、鬼坂トンネル、加茂・石切神社、温海川ダム、五十川トンネル、神子沢隧道…
この僅か15Km圏内にこれ程集中し、心霊体験が数多く報告されてるのは尋常に非ず。
心霊体験という特性上、トンネルでの話が多いものの、
これ程の心霊スポット集中は偶然では無い。
…地図上にプロットしてみると、全て古来からの山岳信仰の聖地・霊山の麓である。
古来の山岳信仰=祖霊信仰という事を考えれば、霊が集まって来ても不思議では無い。
つまり、このエリアは蜂子皇子が羽黒系修験道を開く以前から、
縄文時代からの一大聖地・聖域だったのである!!!
と、同時に。
この数多くの心霊体験は、おそらく現代に限った話では有るまい。
…それこそ古代、縄文時代から連綿と有った筈だ。
此処、山形南部〜新潟北部〜福島北部に掛けての朝日連峰は、縄文人達が数多く住んでいたのだ。
(奥三面縄文遺跡も、このエリア。)
然るに、縄文人達は、それを当然の事と受け止めて一緒に暮らして居たのだ。
『生ける者も、死せる者も共に暮らす』社会として。(勿論その中には自然界の動物、精霊も含まれるだろう。)
…その、死せる者の代弁者として、『口寄せ』をする『イタコ』や『カミサマ』を社会に内包しながら。
【生ける者も、死せる者も共に暮らす社会】
この点を、後に流入して来た大和人には理解不能・概念の範疇に無かった思想だったのだろう。
大和人は、むしろ死せる者は『鬼(鬼籍)・怨霊』として恐れ、穢れとして遠ざけた。
だからこそ、その『死せる者』と共に暮らす先住民、縄文人も又、
大和人から見たら『鬼』そのものに見えた事だろう。
その為、その鬼が入って来る事を拒む為の関所を作った。
…それが温海温泉から少し南側に位置する『念珠ヶ関』。
(この他、『白河の関』と『勿来の関』。特に勿来の関は『来る勿れ』という意味だそうな。)
つまり、この関所より外、北側は『鬼が棲む処』、即ち『魔界』と大和人は考えたのだ。
(日記タイトルのオチが此処に!!笑)
そして『鬼』は、関所を越えて『来る勿れ』、と。
面白い事に。
この『念珠ヶ関』のすぐ近くに『日本国』という山が有る。(笑)
やはり此処が当時の『国境線』であり、東北地方は大和国とは別の国だったのだ。
さて…
今回の現地リサーチ後、改めて手元の資料等の解析を進めた処、
山岳信仰に絡む内容が次から次にポンポンと面白い様に出て来た。
(これぞ天の配剤、神のおぼし召しか??…我輩の様な悪魔の口から、そーゆー事を言うのは可笑しいが。大苦笑)
修験道と言えば山伏。山伏と言えば天狗…という関係性が有るが。
或る記述に依れば『天狗』には幾タイプかの系統が有るそうな。
1、天地の精霊・山の精霊・樹木の精霊が凝固したもの。
(自然霊タイプ)
2、神代の先住民の族長などが化生したもの。
(祖霊タイプ。アイヌの『エカシ』タイプか。)
3、修行を積んだ神官・僧侶・修験者などが化生したもの。
(超能力者タイプ。一般的な天狗のイメージ?)
4、烏・熊・狼・鷲・鹿・猪などの鳥獣が化生したもの。
(動物霊タイプ。所謂、妖怪・猫又と同じ様な『付喪神』か?)
5、人間の霊魂が化生したもの。
(死せる者の霊。所謂、幽霊??)
等々。
1と2は完全に縄文人の信仰体系の物だし、
4に至っては縄文人やアイヌ、マタギの『熊信仰』、そして東北の民俗芸能に多い『鹿舞い』に見られる様な『鹿信仰(言い換えれば『角』信仰)』。
…なるほど、古代・縄文時代からの信仰体系の上に密教の解釈を取り入れた修験道が成立し受け入れられ、熊野神社が東北に多いのが納得出来る。
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いよいよ東北魔界紀行・出羽山伏編の完結編です。(笑)
この温海の温泉神社から高舘山辺りまで有名な心霊スポットが密集している。
白山島(白山神社)、高舘山(加茂坂トンネル)、油戸トンネル(荒倉山・荒倉神社)、鬼坂トンネル、加茂・石切神社、温海川ダム、五十川トンネル、神子沢隧道…
この僅か15Km圏内にこれ程集中し、心霊体験が数多く報告されてるのは尋常に非ず。
心霊体験という特性上、トンネルでの話が多いものの、
これ程の心霊スポット集中は偶然では無い。
…地図上にプロットしてみると、全て古来からの山岳信仰の聖地・霊山の麓である。
古来の山岳信仰=祖霊信仰という事を考えれば、霊が集まって来ても不思議では無い。
つまり、このエリアは蜂子皇子が羽黒系修験道を開く以前から、
縄文時代からの一大聖地・聖域だったのである!!!
と、同時に。
この数多くの心霊体験は、おそらく現代に限った話では有るまい。
…それこそ古代、縄文時代から連綿と有った筈だ。
此処、山形南部〜新潟北部〜福島北部に掛けての朝日連峰は、縄文人達が数多く住んでいたのだ。
(奥三面縄文遺跡も、このエリア。)
然るに、縄文人達は、それを当然の事と受け止めて一緒に暮らして居たのだ。
『生ける者も、死せる者も共に暮らす』社会として。(勿論その中には自然界の動物、精霊も含まれるだろう。)
…その、死せる者の代弁者として、『口寄せ』をする『イタコ』や『カミサマ』を社会に内包しながら。
【生ける者も、死せる者も共に暮らす社会】
この点を、後に流入して来た大和人には理解不能・概念の範疇に無かった思想だったのだろう。
大和人は、むしろ死せる者は『鬼(鬼籍)・怨霊』として恐れ、穢れとして遠ざけた。
だからこそ、その『死せる者』と共に暮らす先住民、縄文人も又、
大和人から見たら『鬼』そのものに見えた事だろう。
その為、その鬼が入って来る事を拒む為の関所を作った。
…それが温海温泉から少し南側に位置する『念珠ヶ関』。
(この他、『白河の関』と『勿来の関』。特に勿来の関は『来る勿れ』という意味だそうな。)
つまり、この関所より外、北側は『鬼が棲む処』、即ち『魔界』と大和人は考えたのだ。
(日記タイトルのオチが此処に!!笑)
そして『鬼』は、関所を越えて『来る勿れ』、と。
面白い事に。
この『念珠ヶ関』のすぐ近くに『日本国』という山が有る。(笑)
やはり此処が当時の『国境線』であり、東北地方は大和国とは別の国だったのだ。
さて…
今回の現地リサーチ後、改めて手元の資料等の解析を進めた処、
山岳信仰に絡む内容が次から次にポンポンと面白い様に出て来た。
(これぞ天の配剤、神のおぼし召しか??…我輩の様な悪魔の口から、そーゆー事を言うのは可笑しいが。大苦笑)
修験道と言えば山伏。山伏と言えば天狗…という関係性が有るが。
或る記述に依れば『天狗』には幾タイプかの系統が有るそうな。
1、天地の精霊・山の精霊・樹木の精霊が凝固したもの。
(自然霊タイプ)
2、神代の先住民の族長などが化生したもの。
(祖霊タイプ。アイヌの『エカシ』タイプか。)
3、修行を積んだ神官・僧侶・修験者などが化生したもの。
(超能力者タイプ。一般的な天狗のイメージ?)
4、烏・熊・狼・鷲・鹿・猪などの鳥獣が化生したもの。
(動物霊タイプ。所謂、妖怪・猫又と同じ様な『付喪神』か?)
5、人間の霊魂が化生したもの。
(死せる者の霊。所謂、幽霊??)
等々。
1と2は完全に縄文人の信仰体系の物だし、
4に至っては縄文人やアイヌ、マタギの『熊信仰』、そして東北の民俗芸能に多い『鹿舞い』に見られる様な『鹿信仰(言い換えれば『角』信仰)』。
…なるほど、古代・縄文時代からの信仰体系の上に密教の解釈を取り入れた修験道が成立し受け入れられ、熊野神社が東北に多いのが納得出来る。
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Posted by 黒猫伯爵 at
10:20
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