2007年07月04日

キリストの墓&環状列石取材記・其の参。

さてさて、いよいよ佳境です。(笑)

そもそも、キリストはホントにこの場所、戸来まで来たのか?

我輩は、半々だと考えておる。
件の「竹内文書」が100%事実とも捏造ともいえぬ。
(まぁ、何割かの事実を含むものの、欠落や時の権力者などの都合によって抹消・改変された部分が有るだろう。)

例えば、さっき書いた大湯の、
永遠の命を得ようとする呪咀的配石。
これは、キリスト教の「天国で永遠の命、云々・・・」の部分に取り入れられたのではあるまいか?
同様に、土偶が十字架になった説。

他にも色々状況証拠が積み上がっているが・・・

だからといって、キリストがホントに来た、
というのは短絡的で軽率の謗りを免れまい。

キリストが居た時代、日本は縄文から弥生時代に移り変わる途上で
しかも、仏教伝来前。

縄文時代の呪術的要素が、崩れながらも、まだ残ってて
キリスト教の成立に何らかのヒントを与えた事は否定できぬ。

又、当然海を越えねばならぬが。
青森の「北方漁船博物館」の展示品からも、
その時代でも渡洋交通は可能だったと思われる。

事実、最近、動力船とは云え、小型木造船に乗った家族が
北朝鮮から青森の深浦に無事漂着し、
あの程度のサイズの船でも渡航可能な事は証明された。


ここからは我輩の推測なのだが。

キリストは実際には来なかった。
が、口伝えに(不完全な形で)
「海の向うの神々」の話を聞いて、取り入れた。
その弟子達が、その神々の許に行こうとして、戸来に辿り着いた。
・・・あたかも、三蔵法師がインドに仏典を求めたように・・・

で、このキリストの墓に埋められているのは、
その弟子達。
で、しかも!
大湯の環状列石と同様の葬られ方を望んだが。
2000年の間に本来の呪咀方法が失われ。
不完全な形で、今の姿に残った・・・

渡って来たのは一人では無く。
おそらく10人前後で、現地の人間との混血も有った。(事実、骨格的な特徴が残っている。)

・・・と、いった処であろう。


まぁ、詳しくは後で執筆予定の「悪魔の死片」で
取り上げるつもりなので、
黒猫貴族の諸兄は、楽しみに待っていてくれ給え★
あ、渡邊さん!
パクっちゃダメだよ♪(笑)



Posted by 黒猫伯爵 at 11:18│Comments(0)
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