2011年03月31日

震災生活20日目…その壱

先ずは被害に遭われた皆様に、心からのお見舞い、
そして亡くなられた皆様には、心からのお悔やみを申し上げます。


大震災の日から二十日…
この間、色々書きたい事も有ったが、
現に今、救助を待ってる人達・救助に行ってる人達が必死になってる中で、
これを書く事は憚られたので、敢えて書く事は避けて来たが…
そろそろ書いて置こうと思う。

人の生き死には紙一重の運命…というか、大震災二日前の地震&小さい津波(今から考えれば、アレが前震だったんだろう。)の時、
我輩は今回津波被害を受けた塩釜の海の目の前に居た訳だから、
少し地震発生の時間が違ってれば、我輩も死んでたかも知れぬ。

今回亡くなられた方々も、目に見えぬ運命の紙一重の差…

次の新しい世の中に生まれ変わる、必要とされた人達だった…と信じたい。


大震災その日は。
たまたま部屋に居た時間帯だった。

ついに予測されてた宮城県沖地震が来やがったか!!
しかも年度末の稼ぎ時に!!←
…と思った。

地震の揺れ自体は、岩手宮城内陸地震の時よりも揺れの振幅が小さい気がしたし、家具も倒れなかったんだけど…
兎に角、揺れてる時間がハンパ無く長かった!!

いつまで揺れてる気だよ、地震!!と思わずツッコミを口走ってしまった程。←
三分以上揺れ続けてた気がする。

物がバラバラと落ちて、部屋の中は、足の踏み場も無い状態にはなったけど、
予想していた最悪の事態…ガラスが割れて飛び散るとか、
入口に置いて有った資材が崩れて部屋から脱出出来なくなる、なんて事は無かったから、
まさかアレが震度7で、その後、大津波が来るなんて、その時は思いもしなかった。


電気は地震と同時に停電したので、
有事の作戦規定発動!!←
という訳で、退避(隠遁)生活に向けた行動を即、始めた訳。

この揺れなら、家が倒れる事は無いだろう…と、
余震が延々と揺れ続ける中、防寒下着を中に着込み、(凄く冷静w←)
食料その他器材の確認。

日没まで二時間なので、部屋の中で寝る事は不可能と判断し、
車中泊を決断。毛布と共に食料・非常器材を車に運び込む。

そして水道の確認。
その時は、まだ水道は出てたんだけど、後から断水する様な気がして。
(阪神大震災のから教訓。)
ポリタンクやら有りったけの空きペットボトルに水を汲んで。

…案の定、その後断水して一昨昨日まで水は出なかった。



Posted by 黒猫伯爵 at 06:34│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
震災生活20日目…その壱
    コメント(0)