2013年10月08日

会津藩・若松城と庄内藩・鶴ヶ岡城。(その四・戰も商売篇)

また間が開いてしまったが、前日記の続き。

庄内藩・鶴ヶ岡城!

幕末の戊辰戦争では新政府軍に降服したのは会津藩よりも後で、
しかも悲惨な籠城戦どころか、領内で新政府軍との戦闘すら無かった藩。
…更には戦後、会津藩の様に家名廃絶・斗南藩転封という事も無く、明治新政府下でそのまま酒田県となった藩。


この違いは何であろうか?

結論から言えば、「外交ルート」の有無が大きなウェイトを占める気がする。

庄内藩の菅実秀と薩摩の西郷隆盛の間には外交ルートが有った様だし、
何より江戸期(それ以前から)を通じて、日本海の海運によって京・大坂とは関係が深かった。

即ち商人を通じて情報も入って来た筈。
…前日記でも触れた「情報戦」。
何もスパイ活動だけが情報戦では無い。現代でも情報戦の7割は一般に公開された情報を基にした「分析」が重要と言われる。
…その点、早期に新政府軍側に投降した秋田・久保田藩や新発田藩、弘前藩なども、
日本海の海運ルート上で、商人を通じて京の情勢が伝わり、不利な情勢を読み取って投降したのではないか?
(何故、庄内藩は最後まで戦ったか?というのはリーダーの考え方の違いと思われる。)


さて…

もし仮に。新政府軍が庄内に攻め込んで来たら、どうなってたか?
…架空戦記風に書くと(笑)
長岡藩を落とした新政府軍は、投降した新発田藩兵を含めて村上藩方面から湯田川を経て鶴岡城下へ。
続いて主力部隊が海路、加茂港か鼠ヶ関港、又は酒田港から上陸。
鶴ヶ丘城周辺は全くの平地で、防衛は濠と土塁が主なので若松城の様な籠城戦は難く。
戦闘は機動力(騎馬戦力)・火力に依存する。

もし我輩が戦術を立てるならば。

騎馬戦力を後方の鳥海山の麓に置き、新政府軍が庄内平野に差し掛かった時点で騎馬戦力を海岸沿いに大きく迂回・南下させ、新政府軍の側面を突くと同時に海路上陸して来る主力部隊との合流を阻止する…かな。
(海路上陸して来る新政府軍部隊には、歩兵が主で騎馬戦力は無い。)

現実的には庄内藩にそれだけの騎馬戦力は無いし、
織田軍が鉄砲で武田軍の騎馬部隊を破った様に、
火力の差は、いかんともし難い。
いずれ勝算は少ないだろう。


忘れる処だったが…
庄内藩については、破綻同然だった藩主・酒井家を財政支援した豪商・本間家のバックアップも大きい。

余談だが、本間家の本間光信は若い頃に、戊辰戦争で「鬼玄藩」と勇名を馳せた酒井玄藩…その酒井家・江戸藩邸に逗留している。
…本間家は政商か?(笑)

冗談は兎も角。
本間家は米相場で財を成し、その財力で藩を支援し、更に救民施策や公益事業にも出資した。
…その財力の基になった米や紅花。
これは内陸の山形・最上氏や天童・織田氏の所領で作られたが、
米や紅花はあくまで商品作物・換金作物で、当時の農民の主食はソバや雑穀だったという。
…途上国でプランテーションを経営した西洋諸国と同じ。(苦笑)
その山形城下では近江商人が支店を出して、店で働く人間も近江から単身赴任していたという。
これも現代の多国籍商社と同じ。(苦笑)

現代の自由競争市場経済の企業感覚と何ら変わらぬ。

…本間氏も現代で言えば、金融先物取引で大儲けした様なパターンだが、
現代の強欲な資本家の豚共と違うのは、その点。
商売で得た利益を公益分配している事。
(本間家自体は贅沢な暮らしもしてたが。)

その本間家が有った酒田湊だが、藩の奉行所は有ったものの、
「酒田三十六人衆」と呼ばれる有力商人達が行政を仕切る自治都市だった。
(現代的に言えば、自由貿易特区みたいなモンか。笑)
…しかもその三十六人衆の中に入るには、商人達の互選で、
町の公共事業に出資出来る潤沢な財力と、倫理的な人間性を求められ、
逆に財力を失えば即、三十六人衆の地位も失ったという。
…かなり民主的なやり方と言える。

この辺。自分の金儲けばかりやって社会還元を怠る現代の資本家の豚共は、
爪の垢でも煎じて見習ってほしいもんだ。(苦笑)

この江戸と現代の資本家・商人の違いは何だろうか?

江戸期の商人は、民衆が豊かになれば商人も儲かるという感覚があった故に、利益の社会還元・救民施策にも出資したが、
現代の資本家・企業には、その感覚が薄れたのでは無いか?
…資本家・商人が民衆の実生活から解離してしまった。

このシリーズ日記で何度も述べた様に、やはり上層と下層の解離が現代の諸問題の背景に有る。


…とりあえず、この日記シリーズは此処まで。
蝦夷館の話は回を改めて書こうと思う。

長文、ご清読有り難う。



Posted by 黒猫伯爵 at 12:35│Comments(0)
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会津藩・若松城と庄内藩・鶴ヶ岡城。(その四・戰も商売篇)
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