2014年02月08日

人間は、死ぬべきである。

最近話題のSTAP細胞。


もしSTAP細胞が実用化され、
「不老不死」が現実の物となった場合。

人間の「記憶」という物は、どうなるのか???


「細胞」は初期化出来ても「記憶」は、そうでは無い。

つまり、不老不死になっても、記憶・経験だけは蓄積される。

それはそれで、「経験則」で物事を判断出来るというメリットが有ると同時に、
経験則の範疇に無い事は、やらない=「新しい発想を産み出さない」という事になるのでは、なかろうか???



それに、例えばSTAP細胞で神経細胞の修復や、アルツハイマーを治して不老不死を実現出来たとしても、
人間の記憶容量というか、膨大な脳の記憶の蓄積から
果たして妥当な答え・判断が導き出せるだろうか???




そういう意味で。
ファティマに複数の情報体(記憶媒体)を持たせたバランシェ博士は凄いなぁ…と思った次第。
(分からん人は永野護氏のF.S.S.を読め!!笑)




結局、不老不死の実用化は、新しい事・新しい発想が出来ない=文明の進歩を止める、という事にもなりかねず、
やっぱり進歩の為には、人間は死ぬべきである。


死ぬべきである………正確に言えば、死ぬ事で、次世代との世代交代、新陳代謝を促すべきである。

そして、その次世代を育てる事こそ、今を生きてる我々の任務であり、
次世代を育てない・循環社会という発想が出来ず、
今の世代の利益だけを求める現代文明・現代資本主義は持続し得ないし、終焉は近いだろう。






そういう、進歩が止まった世界や多次元宇宙を作品にした永野護氏のF.S.S.(ファイブスター物語)は実に先進性に富んでて凄いなぁ…




って、コレがオチぃぃぃぃい?!←




実際。

「霊界」は不老不死だからね。(苦笑)
…にも関わらず、「死」が不可避の、三次元の肉体を持つ様になったという事は。

やっぱり新陳代謝による「進歩」の必要性が有ったんだと思う。




…多分ね。



Posted by 黒猫伯爵 at 01:06│Comments(0)
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