2014年03月12日

あれから3年。(そうだ、国道45号を走りに行こう・2014)

大震災から3年。

…昨日の報道なんか見てると、
マスコミはこぞって大震災を「終らせよう」としている気がしてならない。


全然終わって無いよ??
去年と余り変わらない。
…むしろ、これからが深刻化するだろうとさえ思う。


つい先日も、津波被害を被った国道45号を大船渡まで行って来たが…
(ちょうど1年前にも同じコースを走った。定点観測?笑)
今までは災害直後のハイな状態、躁な状態で何とかやって来れたが、
今はその時期を過ぎ、そこから鬱の状態に入って来た…という感じを受けたね。現地を回ってみて。
(大怪我直後や事故に遭った直後と、時間が経ってからの落差みたいな感じ。)

兎に角、色々な問題が見えて来たし、
場所場所によって実に置かれた状況が様々で。
…まだら模様。



報道では、今年度中に瓦礫処理が終わるなどと言ってるが…

実際は震災当時のまま、解体されないまま野晒しになってる建物も随分有る。
陸前高田の「奇跡の一本松」の近所じゃ、被災した道の駅の建物が野晒しのまま。
(これを行政は「震災瓦礫」とカウントしないらしい。冷笑)

写真一枚目は仙台市宮城野区蒲生。
津波で破壊された民家で、その時の塩害のせいで草木も枯れた。

そこから大きな通りを挟んだ場所では、
キリンビール仙台工場が修復を終え、震災前のレベルに戻ってる。

…実に、この落差!!!

これは他の場所でも同様で。
一向に減らない仮設住宅のすぐ脇に、新しい工場が再建されてたり。
(被災者に見捨てられ感が出て来るのも当然か。)


国道45号を走ってると。
河北町より北は、道路のアスファルト上が、泥っぽい、というか土っぽい。

あちこちで山々が切り開かれ、その土砂が沿岸部の巨大な堤防や嵩上げの為に運ばれてる。

特に大規模な処になると…

写真二枚目。陸前高田市。
奥の方に見える茶色の部分で、山を切り崩し造成すると同時に、
そこの土砂を左側に見える細い灰色の長大なベルトコンベアで沿岸部の堤防建築場所に運んでる。
(これは1年前には無かった進展だ。)




…これは実に悩ましい、難しい問題で。
(直接は津波の被害を受けなかった内陸部居住の我輩が口を差し挟むべき事では無いかも知れんが。)


果たして、山を切り崩しての高台移転や、
巨体防潮堤建設で良いのか???…という問題。

山の樹木は「魚付き林」と呼ばれ、沿岸部の漁場を豊かにする。
…「山は海の恋人」と称し、漁師さんが山に植林する活動と逆行しないか??

そして山を切り崩した造成地というのは、実は地震に弱い。
…仙台市の折立や八木山など、丘陵地を切り崩した内陸部の造成地では、
震災による地滑りや地盤沈下の被害が酷かった。

山を切り崩しての高台移転で、次の地震で津波被害は避けられても、
また別の被害が増大しないか??
…ましてや高齢化が進むこの先。
坂道が多く、働く場の港から離れた高台に住むのが本当に幸せなのか??

地滑りや地盤沈下という部分で言えば。
沿岸部の嵩上げも後々、大きな問題になるだろう。
1メートルやそこらの嵩上げなら問題無かろうが、
女川町の様に最大18メートル(ビル3階以上の高さ!!)にまで嵩上げするとなると、
当初は良いが、年数が経つと必ず地盤沈下や、排水路の経年劣化・定期的な改修工事が必要になる。

定期的な改修工事が必要になるのは、巨大な防潮堤も同じ。
…通常の波と違い、津波の波は奥行きが有る為、
壁の様な処に到達すると、後ろの波に押されて、
たちまち高さと破壊力を増す。
そして地形的に波が重なる場所や開口部(河川も遡上する)、弱い箇所に破壊力が集中する。
…ハッキリ言えば。
防潮堤では津波被害を防げない。

そういう事を考えると。
自然の山、自然の森林を壊し、陸地と海岸を人工的な堤防で仕切り、
後々のコスト負担や「街の在り方・暮らしの在り方」を子や孫の世代まで考えると、どうなんだろう???

…かと言って、津波で流された場所・元に居た場所に戻って住めというのも残酷な話。

どの方向を選べば良いのか。
…これは極めて難しい判断で悩ましい。
おそらく、ひとつの「正解」は無い。
考え、判断を下す為には時間が必要だが、その時間が掛かれば掛かる程、問題が長引き再建を困難にするというジレンマも有る。

震災遺構も同じで、残すか否か意見が別れてる。
…確かに、山の中腹まで打ち上げられてた漁船の残骸が撤去されてるのを見ると、
津波の痕跡が忘れ去られてしまい、やっぱり震災遺構を残すのは必要かな?…とも思うが…
単に遺構を残しただけでは意味が無い。
どう「伝えて行けるか」だ。
…原爆ドームという、原爆の遺構を残してすら、
日本政府は原発を推進し、核武装を主張する連中に事欠かないでは無いか。
(原発・核燃料サイクル事業推進は「潜在的核兵器開発能力の保持」の側面が有る。)



そして写真3枚目。大船渡市。

見て分かる通り、道路も応急的に嵩上げし、土嚢で崩れない様にしてるだけ。
黒いパイプは水道管で、本来は土中に埋設すべき物だが、これまた本設では無く仮設。
…現状として、応急復旧はしたが、恒久的なインフラ回復すら、まだまだ時間が掛かる。
おそらく10年では終わるまい。


東京オリンピック?何それ?他所の国の話でしょ??(真顔)



これらの写真は沿岸部で、内陸部に関しては大分復旧されている。
(とは言え、内陸部でも今になって解体が始まった破損家屋も所々に有るし、被災して崩れた河川堤防の復旧工事も完全には終わってはいない。)

内陸部の国道4号は、全て復旧を終え、震災前同様に走れる。
…比べて沿岸部の国道45号は、まだ何ヶ所も応急仮設橋のまま。
流された歌津大橋も、ようやく破損した橋脚の撤去が終った段階。



これから、まだまだ色々な問題が出て来るだろう。
産業や働く場、住居の問題、人口流出、被災者の精神的ケアの問題…


我々、同じ県内でも内陸側の人間は、ややもすると記憶が風化しがちだが、
これからも忘れる事無く、沿岸部の行く末を最後まで見届けるつもりだ。


Posted by 黒猫伯爵 at 06:58│Comments(0)
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