2014年07月30日

東北魔界紀行・出羽山伏編その1、『蝦夷舘』

東北魔界紀行・出羽山伏編その1、『蝦夷舘』東北魔界紀行・出羽山伏編その1、『蝦夷舘』東北魔界紀行・出羽山伏編その1、『蝦夷舘』羽黒系修験道の本場、羽黒山に『蝦夷舘』という遺構が有る事を知ったのは去年の事。
(一般には余り知られて無い。)

…これは是非とも調査に赴かねばなるまい、と蝦夷の血が騒いだので(笑)調査に行って参りました。

それが、有る種の魔界の一端を垣間見る事になろうとは…(オチはシリーズのラストまで引っ張るw←)


現地に行ったら、その『蝦夷舘』は羽黒山・出羽三山神社に向かう参道の大鳥居の内側に有りました。
(つー事は神域内に存在するって事?)

写真1の大鳥居の先が羽黒山で、そこに向かう道の途中の集落の中に『蝦夷舘』は有った。
(現在は集落手前から迂回するバイパスが出来てるが、本来はコッチが参道。)

道の途中に『舘』が有り、それを囲む様に集落が形成されてる…これは蝦夷出身の『伊治公砦麿呂』が居た『伊治城』(宮城県栗原市)と良く似てるなァ。
…この集落の人達は2千年前から同じ場所に住み続けてる家系なのだろうか。

遺構の看板には、こうある。(写真2)
縄文時代からの遺物が出土し、アイヌ語で『砦』を意味する『チヤシ』と呼ばれてた。
(もしかして此処に住んでた蝦夷も『砦麿呂』と大和人から呼ばれたのかも知れぬ。)

上の方まで登ってみると確かに石垣と空濠が有ったし(写真3)下の方にもストーンサークル跡とおぼしき物が有ったが、
現在は公園として整備されてるので何処まで当時の形態を留めてるのかは公園整備時の資料を分析しないと解らない。

元々地域住民しか知らなかった遺構だそうだが、この地域が地盤の元衆院議員の加藤紘一が自民党時代に強力に働き掛けて公園整備をやったらしい。
…如何にも自民党らしい(笑)利益誘導政治だが(苦笑)そのお陰で、この極めて重要な意味を持った遺構が忘却されずに済んだのは幸いか。

…休題閑話。

この遺構の地形は何処かで見た事有る様な??
…あっ!!マヤ文明の階段状ピラミッドに似てるんだ!!
(まさか…とは思いますがね…)

しかも最上部に有る石垣の配置から考えて。
建物の長手方向は、おそらく鳥海山(これまた山岳信仰の霊山!!)だろう。
当日は霞が掛かってた上、周囲の木立に遮られて視認は出来なかったが。


問題は。この『蝦夷舘』が何故、羽黒山の神域内に在るか??という点。

そもそも羽黒山…羽黒系修験道は記録に依れば。

蘇我氏、蘇我馬子らによって朝廷を逐われた崇峻天皇の皇子、蜂子皇子が推古元年(593年)に出羽国に入り、
三本足の霊鳥(八躱烏)に導かれて羽黒山に登り、苦難の修行の末に羽黒権現の霊験を顕した…とある。
(その後、月山・湯殿山も開き出羽三山修験道を築いたとされる。)

ここが問題なのである。

当時の出羽は『念珠ヶ関』と言われる関所の北で、大和朝廷の統制外の外国。
そんな外国で、朝廷のボンボン貴族が一人で山に登って修行なんぞ続けられるか??(笑)


真実はこうだろう。

山伏を通じて出羽の蝦夷に話をつけ、都を脱出して、この『蝦夷舘』の主に『客人』として迎えられ世話になった。
(チベットのダライ・ラマが中国政府に逐われて隣国インドに政治亡命してるのと同じ。)
そして元々の蝦夷が縄文時代から信仰してた霊山を、蝦夷や山伏と一緒に巡って修行する内に行者として大成した…

『蝦夷舘』は元々神殿だったが蜂子皇子が来て以降、大和朝廷軍の追討に備えて要塞化された。

…こんな処だろう。
だが正史には蝦夷の世話になったとは書かれない。(笑)

遺跡は嘘を吐かないが、文書記録は時として嘘を吐く。

古代、山伏とは国を跨いで山を巡る行者で、今で言えば中東のクルド人の様に複数の国に跨がって存在する山岳民族の様な存在だろう。

記録に出て来る『八躱烏に導かれて…』というくだり。

八躱烏は山伏を意味するとも、天照の遣いとも、大日如来の化身とも言われる。(天照や大日如来なら、太陽神ともとれる。)
…興味深い事にアイヌ民族は、住居の東側に『エカシ(族長)の面』を祀り、東方は神の国という信仰が有るそうだ。
つまりは祖霊信仰と太陽神信仰だろう。
(これは次に訪れた由良・白山島で思い知る事になる。)

以前にも日記に書いたが、縄文時代のストーンサークルは北極星信仰、輪廻転生の思想が濃い。

出羽三山も、羽黒山が現世で月山が死、湯殿山が再生(誕生)を意味し。湯殿山には誕生を象徴する巨石が祀られてるそうだ。
この辺は、とても縄文文化的な処。

この様に色々な信仰要素・民族要素が重層的に重なりあってる。


そして蜂子皇子が出羽に上陸した場所、由良の浜の話に続く。(乞う御期待←)

…あ。羽黒系修験道について、もう少し補足。

元々の開山は593年の蜂子皇子によるものだが、
約200年後に弘法大師が湯殿山大日坊(807年)や湯殿山注連寺を建立している。
…この時点で蜂子皇子が開いた当時の山岳信仰の形態とは少し姿を変え、真言宗に改宗し神仏習合の山となる。
(この注連寺には鉄門海上人の即身仏も祀られてるそうだが…それは続きの日記、加茂編で。)

この時期…700〜800年頃に掛けては、東北地方に次々と寺や神社が集中的に建立される時期だ。(熊野神社も、そのひとつ。)
花笠音頭で、♪めでた♪めでた〜の♪若松さ〜ま♪と唄われ有名な山形の若松寺の創建が708年。

この時期、蝦夷のアテルイとの間で所謂『三十八年戦争』とも謂われる、
蝦夷と大和朝廷との戦いの時期でもあり、
大和朝廷が東北に勢力を拡大して来た、或いは『文化的侵略』とも言えるかも知れない。

その後、再び寺や神社が集中的に建立される時期が1100年〜1200年頃で、これは奥州・安倍氏や奥州・藤原氏の時代に当たる。

出羽三山に於いても、月山の方に岩根沢三山神社が建立されたのが1226年だが、
此処を建立したのが、大和国から来た僧で、役の行者(修験者)も助勢したのだという。
…これは役の小角、所謂、熊野系修験道、熊野神社の系統だろう。(これまた続きの日記でw←)
但し、その後。1387年に大寺を建立、天台宗に改宗し寺号を日月寺と称した。

この時期に修験者・山伏によって伝えられたとされる神楽(地域によって番楽、法印神楽などと呼ばれる)が東北各地の修験道が色濃い処に数多く残っている。
これはやはり、安倍氏や藤原氏の庇護によるものか??

…尚、本来の羽黒山、出羽神社の方も江戸時代初めに真言宗から天台宗に改宗している。

後の明治維新に於いて、明治政府から神仏分離を強要され、一時は存続の危機に瀕したものの、
寺号返上によって何とか存続した…という複雑な経緯を辿ってる。


この複雑な経緯の中で、おそらくは『蝦夷舘』の存在が文書記録から消され、忘れ去られて来たのではないか。


朝廷を放逐したとは言え、レッキとした皇族が、朝廷の討伐対象としていた蝦夷の世話になり、
あまつさえ蝦夷の神を拝んで出羽三山を開いた…なんて史実は、クチが裂けても記録には残したくは無かったろうよ、(笑)朝廷側としては。

…だもんで、いまだに天皇信仰の右翼ドモは『蜂子皇子が未開の土人、蝦夷を教化して大和に帰順させたんだ』などと言い触らしてるが、
事実は全く逆。(笑)…むしろ蝦夷側が、蜂子皇子を政治亡命者として迎え入れたんだよ。


だからか、明治政府は殊更、修験道に対しては厳しくした。
…何故なら、東北の地から蜂子皇子に繋がると称する皇族が現れるかも知れない。
そうなったら、明治政府の中央統治の根底がぐらつく。
それを恐れるが故に、明治新政府軍は殊更、戊辰戦争で東北地方を徹底的に破壊し、
明治新政府は神仏分離・廃仏棄釈を進めて修験道に厳しく当たったのではないか。


…実は、この明治新政府の危惧は。
その後、昭和初期に入って『熊沢天皇』と称する人物が現れる騒動となり具現化する。
(これに絡む話も少し有るが、後で。笑)


Posted by 黒猫伯爵 at 09:37│Comments(2)
この記事へのコメント
蝦夷舘公園付近に住む家業が宿坊の高校生です。
ふと気になりネットで調べたところ、このブログをみつけましたが今まで知らなかったこともありおもしろいブログでした!
Posted by 星野 at 2014年11月28日 18:39
>星野様

ご来訪有り難う御座います!

そうですね、この辺は学校の歴史授業でも教えてくれませんし。(苦笑)

『蝦夷舘』という地名は、東北各地に有る様で、
古墳時代〜室町時代まで、元々地域を束ねていた豪族が城(柵、舘)を築いてた場所も多い様です。
(鶴岡の『高舘山』も、同様です。)
…その地域の豪族が、室町時代以降、合従連合を繰り返し、
所謂『戦国武将』という形に収斂・成長して行くんですね。


また、別の文化的観点から見ると。

地域に伝承されてるお祭りや、年中行事を調べてみると、非常に興味深い物が見えて来たりします。
…例えば、旧正月(小正月)の行事。
この行事は、何の由来・意味が有るのか??と地域の古老に聞いてみたり、調べてみたりすると、とても面白いと思いますよ♪♪

あと…葬式も、そうですね。
(映画『おくりびと』のロケ地も庄内地方でしたね。)

例えば、ウチの方では。
葬式の参列者が輪に並んで柩の周囲を3周する風習が有ります。
…この風習は何処から来たのか?どんな意味が有るのか?調べると面白いんですよ。
(星野さんの近所の墓地にも、円形の広場が有ったりしませんか?)


興味を持たれたならば、色々調べてみると良いと思います。

このブログでも、調べた結果を『東北魔界紀行』シリーズとして、
今後も掲載して行きますので、よろしければ又、読みにいらして下さい。
Posted by 黒猫伯爵 at 2014年11月30日 06:29
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東北魔界紀行・出羽山伏編その1、『蝦夷舘』
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