2016年03月08日

山神社(山ノ神神社)・その壱、北極星編。

土曜日に思い立って山ノ神神社に行って来た。

…ちょうど小牛田駅で東北本線・山側線廃線跡の写真展が有ったので、そのついでと行ってはアレだが。(苦笑)

前々から気にはなってた神社だし、確かめたい事も有ったので。

地元では『山ノ神(やまのかみ)』で通じる程メジャーな神社では有るが、
実は余り行った事が無かった。(苦笑)

山の上では無く、平地の真ん中に有りながら、何故『山ノ神』なのか??

山ノ神という位だから、山岳信仰・北極星信仰が基の神社に違いない。
…それを確かめに、今回思い立って行った訳だ。。


正式には『山神社(やまのかみしゃ)』。

まず参道、鳥居の前で方位磁石を取り出し確かめる。
…間違いなく拝殿・本殿に続く参道は、真北に向かって伸びており、
参拝者も拝殿・本殿正面、真北に向かって参拝する形だ。
周辺の道路・土地区画から考えても偶然に真北になったのでは無い。
狙って真北の方角を意識している。

北極星信仰を意識した造りになってると見て間違いない。
しかも社殿の作りは、外観からの判断だが、所謂『権現造り』に近い様だ。
(日光東照宮のタイプ。修験道系。)
…但し、現社殿は昭和初期の遷座造営なので、最初から北極星信仰の要素を持つ神社だったかは疑いの余地は残す。
(逆に、昭和初期の段階に於てさえ、北極星信仰の残滓が有った事が驚きでも有るが。)

実は宮城県内には、墓地に隣接して同様の遺構が今でも残ってる場所が複数有る。
…随分前にも書いたが、墓地の隣にストーンサークル跡とおぼしき円形の場所が有り、必ずその円形の北側に社・祠が建てられてて『〇〇霊場』と掲げられてたりする。
今から僅か30年程前までは、その円形の場所の中心に柩を置き、参列者が柩の周囲を左回りに3周する葬儀の風習が当たり前に見られたものだが…
(この風習は東北地方が中心で、西日本には無いそうだ。)


休題閑話。

山神社は崇徳天皇(←日本最強の怨霊と呼ばれる崇徳院の事だ!)の御世、1141年に、
摂津国から来た修験者・小山田氏が、その氏神として祀ったのが起源とされる。
…やはり修験道、言い換えれば山岳信仰の系統だ。

当時、この辺りは『小田郡』とされ、涌谷・黄金山から産出した砂金が大和朝廷に送られるなど、
7世紀から大和人の入植が有ったので、
1141年という事は、かなり遅い方の入植組だろう。

もう少し南側には、縄文時代の遺跡や、古墳時代の古墳も有る事から、
先住民が住んでた土地を避けて(入れなかった?)入植したのだと思われる。
…尚、その涌谷には『黄金山神社』や『のの嶽神社』という山岳信仰の神社も有る事から、
後から来た人間として高所に祠を建てる事を憚ったのかも知れない。


しかし、この小山田氏…

おそらく清和源氏の系統の、摂津源氏の流れでは有るまいか?
(甲斐源氏や、主流派の河内源氏では無く。)
崇徳天皇の時代で、しかも平清盛が摂津に福原京を作る、僅か30年くらい前…orz…

やだなぁ、平氏と源氏のアレやコレやの時期。(苦笑)
キナ臭い畿内王朝の権力争いが厭になって東北に来たのかも知れないね。(笑)
…そう言えば、同じ宮城県でも仙台市西部の『定義山・西方寺』は落ち延びた平氏(桓武平氏の系統)の建立だと聞いたが…



この話、次に続きます。


Posted by 黒猫伯爵 at 08:31│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
山神社(山ノ神神社)・その壱、北極星編。
    コメント(0)