2016年03月08日

山神社(山ノ神神社)・その弐、木花佐久夜比命編。

山神社(山ノ神神社)・その弐、木花佐久夜比命編。前日記の続き。

この山神社(山ノ神神社)は、山の女神で安産の神。
(火伏せや酒造の神威が有るとされるが…詳しくは後述。)

行った当日は、たまたま暦では『丙・戌』の日だった為に、
(前々日記のひなまつり、十進法と十二進法の話の処。十干・十二支。)
安産・子安の祈祷が多く、午前中は駐車場に入り切らないぐらい参拝者が多かったそうな。
(我輩が行ったのは午後からだが、それでも参拝者は途切れず、駐車場も塞がってた。)


さて、その主祭神だが…

咲夜さーん(←違w…そりゃ東方だ。)

もとい、『木花佐久夜比賣命』。
…はて??実に違和感が有る。
(確かに安産の神には間違い無かろうが…)

東北地方では良く『山神』と彫られた石碑は目にするが、
『木花佐久夜比賣命』と彫られた石碑は、我輩の知る限りは無い。
(リサーチ出来てるのは、ほんの一部故に何処かに有るかも分からんが…)

『山神』とは元々、縄文時代・先住民からの『自然神・豊饒神』で女性神だ。
…つまり、元々の先住民の『山神』が後から来た大和人によって『木花佐久夜比賣命』に『同定された』と考えて良かろう。

最初の小山田氏の、個人家系の氏神として祀られた時から木花佐久夜比賣命だったのだろうか??
…いや、社伝によれば1571年に小牛田の町割りの際、御神体を奉じて1575年に祠を建てたと有るので、
おそらくこの時から木花佐久夜比賣命が祀られた可能性が高い。
…火伏せや酒造の御利益が有るとされたのも、この頃からだろう。


それ以前は、特定の名を持たぬ『山神』としての信仰対象だったからこその『山神社(山ノ神神社)』だろうし、
おそらく、それ以降も別に『木花佐久夜比賣命』という神名は、参拝者にとってどうでも良い事だったろう。
(あくまで日本神話という『お伽噺』の神として。)

この山神社の境内には『山神永代獸〜』(←下は埋もれて判読不能)の石碑も祀られてる。
…これは『獸』の文字から判断するに、動物の慰霊碑であろう。元々の山神・豊饒神に対する感謝でも有る。
近くに『牛飼』の地名も有る事から、農作業に使役された牛の慰霊碑かも知れない。
(馬頭観音の牛バージョン?)
この石碑は、寛永年間の建立である事から、その年代に於ても東北地方では日本神話や木花佐久夜比賣命というのは、余り民衆には理解されて無かったのかも知れない。


面白い事に、仙台市南西部の秋保神社にも、この山神社から勧請された石碑が有る。

山神社(山ノ神神社)・その弐、木花佐久夜比命編。…但し『山神』と彫られた左下に『小牛田神社』とも彫られている特異な例だ。

東北地方で普通に見る山神碑は単に『山神』(或いは湯殿山や太平山等の山名)と彫られてるだけだ。
…敢えて『小牛田神社』と彫るからには、既存・土着の山神と区別する必要が有ったからだと考えられる。
(つまり木花佐久夜比賣命は、自分達古来の山神では無く、大和人の山神だと区別する為だろう。)
何しろ、秋保神社には。
これまた、女陰の形をした自然木が山神の御神体として本殿脇に堂々と祀られてますからね。(苦笑)
本殿の祭神とは別に。


この様に、遠方に山神社が勧請されたのは、藩政時代になってから、
所謂『講』(代参講)という形での現世利益を求める文化が広まってからだろう。
(お伊勢詣りや、四十八箇所巡りの様な形態。)
講で直接参詣に行けない人達の為に、地元で参詣する為にと勧請された筈。

事実、今でもバスを連ねてやって来る『講』の人達が多く、
東北一円、北関東辺りからも来るそうだ。

中でも岩手方面から来る人達は、実に律儀に『講』を続けてるそうな。
…さもありなん。有名な黒石寺の『蘇民祭』を見れば納得するわwww
尚、その蘇民祭で有名なのも正確には『妙見山・黒石寺』。
つまり妙見信仰(北極星信仰)がベースに有る。


最も『講』自体が、或る種の『娯楽』という側面も否定出来ない。(苦笑)
…牡鹿半島沖の金華山島・金華山神社や岩沼の竹駒神社を回り、小牛田の山神社の参詣で〆る…というバスツアーが現代の『講』だそうで(苦笑)、
山神社に着く頃にはホロ酔い・千鳥足の殿方も少なく無いらしい。(笑)
もう、講に名を借りた物見遊山の旅行だね。(苦笑)

当然、観光地土産の定番・まんじゅうも有る。(笑)
銘菓・小牛田まんじゅうは明治時代からの銘菓。

この実態は山神社に限らず、山形の羽黒山の講も同じだが。(笑)



あと…この山神社には『大山咋命』『天照大御神』『誉田別命(応神天皇)』も合祀されているが…

これは後から大和人が持ち込んだ神だしな。
(という事は、この地には大和人の入植者が多かったという事だ。稲作水田地帯でもあるし、さもありなん。)

これら合祀された神は、明治末期の大火の後、周辺の日枝神社等から統合・合祀された様だ。

あれ?日枝神社は、すぐ近く(3Kmくらい?)にも有るが、何故同じ系列の神社に合祀しなかったのだろうか?

悠也さんとこの主祭神って誰だっけ?←(此処で聞くなw)



Posted by 黒猫伯爵 at 11:27│Comments(0)
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