2016年08月05日

青森ねぶた祭りの起源、そして秋田竿灯、盛岡さんさ踊り、鹿踊り、鬼剣舞…(東北魔界紀行シリーズ)

一生に一度は観て置きたい祭り、それは『ねぶた祭り』。
…残念ながら我輩はまだ観に行けて無いのだ。(苦笑)

ねぶた祭りの起源は諸説有る。

結論から言えば『精霊流し』と『夏越の大祓』の様なものだ。
そのルーツは神道よりも古く、神道とは別系統の文化。



ねぶた祭りの起源には諸説有るが、
『ねぶり流し』と『坂上田村麿呂起源説』が有る。

後者の坂上田村麿呂起源説は、そもそも彼は青森の地に足を踏み入れて無い事から、まず否定しても良い。
(この説は後年、奥州・安倍氏を滅ぼした源氏が流布したプロパガンダだったと考えられる。)


ねぶたの起源は『ねぶり流し』に絞って考えて良い。


では『ねぶり流し』とは、そもそも何の事か??

農繁期に農民の眠気・睡魔を払う為という説明がよくされるが、
だったら何ヶ月も労力を割いて、ねぶた(山車)を作る暇が有ったら寝て疲労回復に努めるなり、本来の農作業に従事したりする方が良い訳で。(笑)

そんなピント外れな理由では無く、もっと深く、何ヶ月も労力を割くだけの『価値』が有るから、ねぶた祭りは何百年も続いて来たのだ。



『ねぶり流し』の元来の意味は、陰陽の考え方でアッサリ解ける。(笑)

画像の陰陽模式図を見て頂きたい。
陰陽思想では、時間・季節・方角を総て陰陽という円環循環の統一論理に当て嵌めて考える。

方角で言えば『鬼門』の方角では有るが、同時に『再生・生誕』の意味が有る。
(鬼門は鬼が来る方角と言われるが、その鬼とは鬼籍=死者の霊。即ち死者の再生・輪廻転生という事でも有る。)


この陰陽論理を『暦』(旧暦)に当て嵌めると『鬼門』に当たるのが新しい年の始まり、『立春』に該当する。

そして陰陽では立春から立秋までの、年の前半を『陽の気』・立秋から立春までの後半を『陰の気』と解釈するのだ。

陽の気とは生者の気・陰の気とは死者の気と、別の解釈も同時にされる。

青森のねぶた祭りを始め、秋田竿灯、盛岡さんさ踊り、山形花笠祭り、仙台七夕祭りと、東北地方の主要な祭りは、この立秋直前に集中する。

つまり、総て起源を辿れば陽の気から陰の気への転換点の祭りである。

盛岡さんさ踊りや、青森ねぶた祭りの踊りの動作は、足を踏み鳴らす事で『地霊を祓う』意味が有る。
…この動作は他の鬼剣舞や鹿踊り(シシおどり)にも共通し、東北全般に分布する。


この地霊を祓うという部分は、神道に於ける『夏越の大祓』に該当するだろう。
…神道では年の前半が終わる新暦の6月30日に行うがね。
その意味では、やはり東北の祭りの方が元来の意味を強く残しており、起源も古い。


又、『地霊を祓う』意味でも有るが、その地霊とは死者の霊でも有る。
…即ち、死者の霊を陰の気(黄泉、地国)へ送る・還すという意味でも有る。
その点では『精霊流し』と類似する意味も有る。

これは、ねぶた祭りに代表される様に、東北の祭りは立秋直前の祭り=陽(生)から陰(死)の転換点の祭り。
…そして立秋を過ぎると『陰の気』に入り旧暦の『お盆』を迎えるのだ。

お盆は先祖霊が帰って来ると言われるのも、起源はこういう陰陽思想の論理に有る。



陰陽思想では、太陽も毎日、生と死・昼と夜の陰陽を繰り返す。
…同じ様に人間も昼と夜・覚醒と睡眠を繰り返す。
故に、睡眠とは毎日繰り返す『陰・死』でもある。

これは毎日の睡眠=死から覚醒出来なくなった状態が、生命としての死という解釈になる。

…この解釈からすれば、睡魔=鬼によって毎日の死から覚醒出来なくなったという事。

『ねぶり流し』=睡魔祓いという事は、生命としての死を避ける祈願という意味も持つ。
…だからこそ、あれだけのエネルギー・手間を注ぎ込んで惜しまず、数百年もの間続いて来たのだ。

さて。

その『ねぶり流し』が何故、青森の『ねぶた祭り』に進化したか。

これは安東氏の統治時代に付加されたものと考えられる。

前述の様に『ねぶり流し』=『夏越の大祓』という意味では、
東北各地に広く『踊り』として古代から分布している。

一方で『ねぶた(山車)』の分布範囲は、
青森ねぶた・弘前ねぷた・平川ねぷた・黒石ねぷた・五所川原の立ちねぶた、等、
安東氏の所領とピッタリ重なる。
(逆に同じ青森県でも、南部氏の所領には無いのだ。)

尚、秋田の竿灯も同じく起源は『ねぶり流し』と言われ、秋田も安東氏(湊安東氏)が土崎城を構えて統治していたし、
秋田北部の能代にも、五所川原の立ちねぶたと類似した祭りが有る。



面白い事に、安東氏の家紋は扇だ。
(画像参照)
…弘前ねぷたの山車は扇形。
これは実に興味深い点だろう。

青森ねぶたの山車は、水滸伝をモチーフにされる事が多いが、
これもやはり安東氏の統治時代と時期的にも一致する。
(水滸伝の話は、中国大陸では『宋』の末期。)

安東氏は『安東水軍』として広く日本海の交易を行い、
朝鮮半島や中国大陸、シベリアまで交易を行っており、
又、その各地からの帰化人も居た事から、
東北に元々古代から存在した『ねぶり流しの踊り』に、大陸方面から持ち込まれた文化が合わさって『ねぶた祭りの山車』が出来上がったのだろう。

安東氏は日本海の交易で莫大な富を得ており、
巨大なねぶた・ねぷたの山車を作る財力も有ったからこそ、
大量の灯り・蝋燭もふんだんに使えた。

弘前・青森・秋田・五所川原・平川・黒石・能代と、その地域ごとに山車の形が異なるのは、
やはり安東氏の中でも宗家・各地分家ごとに別れて競争・独自進化したのだと思う。




余談になるが、安東氏の家紋。扇。

…これは壇の浦で安徳帝と共に滅びた、平家との関係をも示すものだろう。
(平家が滅びた時の『扇の的』の逸話を思い出す。)

平家の落人伝説が有る場所は東北に多いし、
そもそも安東氏は奥州・安倍氏の系列であり、
奥州・安倍氏は元々、蝦夷の出自ながら桓武平氏の系統とされ、『ひのもと将軍』の称号を授けられていたと伝わる。
(青森ねぶたの始まりは浅虫地域という話も有り、この地にも平家落人伝説は有る。)


その奥州・安倍氏を滅ぼしたのは源氏であり、
安東氏と所領を争った南部氏も、元は源氏の傍流。
青森の安東氏は、後の弘前氏となり、秋田の安東氏は後の秋田氏となった。

その秋田、後に常陸から佐竹氏が移封されて来る事になる。
(元を辿れば佐竹氏も常陸・岩城の蝦夷で源氏側に付いた部族。)

弘前氏は弘前氏で、幕末の戊辰戦争では、会津陥落後の末期に官軍側に投降、官軍側部隊として旧幕府側の南部氏と、野辺地近郊で戦火を交えている。

秋田の佐竹氏は佐竹氏で、奥州列藩同盟から真っ先に脱落してるしなー。


歴史をみてみると、やはり日本は多様な『部族社会』である事を痛感する。
千年以上、部族間同士の争いは絶えなかったし、同時に部族間同士の和平・交易も絶えなかった。
(正確に言えば、元々の住民は土着部族で、その支配層の連中が争ってただけだが。)


そもそも日本民族という単一民族は存在しないし、
日本国という統一国家が出来たのは明治維新の時からだ。


Posted by 黒猫伯爵 at 09:06│Comments(0)
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